髪を黒くしろ問題

なんとなく気になったので、思ったことを書いてみます。

善か悪かに関しては言及しませんので、あしからず。

そもそも犯罪なのではないか?

法律を勉強したことがあるわけでもないし、ましてや、専門家じゃないので詳しいことはよくわからないです。

調べてみたところ、憲法13条を根拠として、髪型と服装の自由は保証されているようですね。

第9回 自己決定権(憲法13条)と「髪形・服装の自由」

じゃあ、憲法違反なのかというと、僕個人としては、何でもかんでも自由にしたらいけないんじゃないかとも思うわけです。実際、警察官や消防官、公務員のような職業においては、規律というものは必要だと思います。

今回の場合はどうかといえば、校則に髪の毛を黒くしろと書いてあるわけですね。集団生活には一定のルールが必要ですから、校則というのは必要だと思いますが、問題としては、髪を黒くしなければならない理由は何なのか、ということです。これを学校側が正しく証明することができれば良いわけです。

ちなみにですが、男子の丸刈りは徐々になくなって来ているようです。

丸刈り校則

なぜこの学校に入ったのか?

校則というローカルルールをどこまで制限できるか、という問題について。

例えば、私立の学校の場合、各校独自の方針に基づいて、効率の学校ではできないような教育課程を決めることができます。代表的な例としては、宗教教育を取り入れることが挙げられるかと思います。ダウンタウンの浜田さんが卒業したという日生学園というところも、ほぼほぼ軍隊みたいなスパルタ教育で有名でした。

今回の場合は府立の公立学校ですので、学校教育法に基づく、いわゆるスタンダードな教育をする必要があると思います。すると、なぜ学校ごとに校則が違うのだろうか、ということが気になりました。おそらくは、地域性だったり独自性だったりを持たせているので、校則が多少違うのでしょう。また、これにによって、自分にとって最もふさわしい学校を、選んで決めることができるわけです。

やんちゃなことばかりやっている子供をもった親にとって、子供を厳しい学校に入れて教育してほしい、という需要があると考えるのは理解できますし、また、その需要にこたえた学校を用意する、というのも論理的だと思います。

すると、なぜ黒染めを強制する校則の学校をあえて選んだのだろうか、ということが気になります。

ちなみにですが、僕も髪の毛が若干茶色で、天然パーマです。

普通とはなにか?

多様性が当たり前の世界になってきたので、これまでの価値観を見直すタイミングなのでしょう。しかし、日本の場合は、憲法改正の議論からもわかるように、なかなか法律を変えようとしません。

憲法に関しては特殊な例なので、一般論を考えてみます。

何十年も前の社会で求められたことが、必ずしも、現在の社会でもまだ求められているとは限りません。今存在するべきものは、今生きている人々のためのものですから、必要なものがあるとすれば、古いものと取り換えるのは至極まともな考えだと思います。

また、何にでも伝統という名前を付けて、それを後生大事に抱えて、変えようとする人を軽蔑するのは間違っていると思います。なぜならば、これまでの世界が変わってきたのと同様に、これからの世界もまた変わっていくからです。

最後に。。。

平等と公正は違います。

あなたと僕は違うので、平等にものを与えられても、同じように生きられるわけではありません。違いを受け入れて、それを補うことで公正な社会をつくることができます

寛容さが日本人の美徳だというのなら、なぜ、外国人を受け入れることはできるのに、髪の毛の色という些細な違いを受け入れられないのでしょうかね?

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